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名古屋高等裁判所 昭和37年(ネ)302号 判決 1965年9月29日

控訴人(申請人) 石井英明

被控訴人(被申請人) 名古屋汽船株式会社

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は仮に控訴人を従業員として取り扱い、かつ金一、一六〇円および昭和三六年八月二〇日以降一ケ月金一四、〇〇〇円の割合による金員を毎月末日限り支払え。

控訴人その余の申請を却下する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人を従業員として取り扱い、昭和三六年八月から毎月末日限り金二九、三五〇円宛を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、疏明の関係は、次に付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

控訴代理人は

一、原審において、当初被控訴人側から臨時船員の方が本船員より給料が高率である旨一般的に主張し、これに対し、控訴人側で右のような主張を認めたうえで、控訴人は本員と同じ給与体系すなわち全日海との協定による賃金の支払を受けていて本員より高率ではないと主張したのであるから、むしろ、前段の一般的慣行については当事者間に争いないものというべく、原判決事実摘示のように控訴人側のみが、右慣行を主張して、臨時雇に非ずとしての根拠といつたのではない。

二、昭和三五年中被控訴人の方に船舶が二隻増加したから予備員だけでは配乗困難で臨時雇の必要があると被控訴人においていうのは抽象的なもので、具体的に誰が有給休暇を取得しそのため下船しその代人としてその期間中臨時雇の必要が生じたかを考えることが必要となる。被控訴人において船舶増加があつた故に予備員を多く必要とするのであれば企業の正常な運行としては、その雇つた船員は本来の意味の臨時雇でない筋合である。

三、船員の雇入契約は特定船舶に対する乗船契約であるところ、原判決も認めているように、昭和三六年五月二〇日雇用契約が結ばれた当時控訴人はその月末に入港する名和丸に乗船すべく自宅待機を命じられていたのであるから、いまだ特定船舶に乗り組む旨の雇入契約を締結されておらず、まして、名光丸に乗り組むための雇入契約が右五月二〇日に締結される筈はない。

四、被控訴人において控訴人を昭和三六年七月一七日に急いで社命下船させた決定的理由は全日海の「山田海運若潮丸事件」と題する文書であることは疑いなく、これをかくすために、証人の浜中博はいろいろな言いのがれと虚偽の証言をしているのであつて、たとえば、前記五月二〇日名和丸に控訴人を乗船させる予定であつたことが判明すると、結局は臨時雇という被控訴人側の主張の具体的基礎がくずれてくるおそれがあるので、意識的に事実に反する証言をなすに至つたものとみられ、他の証拠と対比して同人の証言は信用できないものといわなければならない。

五、全日海と労働協約を締結している被控訴人のような船会社には原則としていわゆる臨時船員はなく、その協約第三条第二号にいう「臨時に船員として乗船する者」とは、本来船員でなく陸上勤務者のような者が臨時に船員として乗船する場合を指しているのであることは、明白である。

六、控訴人は本来乗船中は労働協約に定められた食糧費月額四、三五〇円を支給されるものであるから、原審における請求趣旨の月額に右金額を加え計月額二九、三五〇円の支払を求めるわけである。

七、被控訴代理人が最低保障本給は勤務年数三年以上の者で満一九才以上の者に適用があるので、三年未満の経験しかない控訴人には右保障本給の適用がないと主張するが、それは員級についてのことであつて、操舵手は役付であつて右制限外である。

なお、控訴人は全日海労組に加入して組合員手帖も貰い、加入費組合費を徴収されているのであるから、たとえ、全日海においてこれを誤りであるといつたところで、それは被控訴人と共謀しての控訴人の追い出し策であり控訴人が右組合員であることを否定できないのである。

と述べ被控訴代理人の主張を否認した。

被控訴代理人は

一、被控訴人において臨時船員の方が本船員より給料の点で高率である旨陳述し、控訴人がこれを認めても、右は具体的事実についての自白でもなく、経験法則の陳述に過ぎないから、裁判所の判断を拘束するものではない。

二、船員法第四二条は期間の定めなき雇入契約の解除申入に関する規定であるから、本件のように乗船後三ケ月と期間が定めたもの(船員手帖の記載は不実)については適用がない。

三、被控訴人の有する外航船は名光丸、名和丸、名玉丸の三隻であり、名和丸、名玉丸は昭和三五年二月と三月に増加されたもので定員は各四六名である。右船舶の増加が約一年後の昭和三六年五月以降になつて船員中有給休暇資格取得者の急激な増加となつてあらわれ、予備員を三〇名程度しか保有していない被控訴人として配乗のやりくりに苦心しなければならなかつた。各船会社ともに二、三割の予備員でまかなうのが経営上通例であつて、被控訴人としてもこれ以上予備員をふやすことはできないので、親会社にあたる訴外日産汽船株式会社に援助を求めたり、臨時船員を採用したりして運営を可能にしたわけである。

四、控訴人を昭和三六年七月一七日伏木港で下船させたのは本船員が同港で乗船することになり臨時船員たる控訴人の乗船が不必要になつたからであつて、船員保険法には(三三条の三)二ケ月以内の期間を定める契約にもとずき使用せられたものはその期間が被保険者たりし期間に算入されないので、一般に船会社は臨時船員の立場を有利に考慮して乗船予測期間三ケ月前後のものは期間三ケ月と定めることが多いのであるが、実際には三ケ月未満で下船する臨時雇も控訴人に限らず存するのである。まして、下船後も契約期間終了まで本人本給を支給したのであるから、控訴代理人の主張するような他意あるものではない。

五、船員の乗船中の給与(保障本給)については船主と全日海との間の労働協約で定められ、その第一三八条二号(乙七号証七四頁)によると最低保障本給の適用は勤務年数三年以上の者で満一九才以上の者に限られるのであるが控訴人の乗船実歴は二年余に過ぎず、しかも控訴人は全日海の組合員ではないから、右協約による保障本給は適用されない筈である。しかるに控訴人に組合員なみの保障本給を支給したのは全く控訴人が臨時雇であるからにほかならない。

と述べ、控訴代理人の主張を否認した。

(疎明省略)

理由

被控訴人が海運業を営む会社であり、控訴人が昭和三六年五月甲板員として同社に雇用されたこと、被控訴人が同年八月一九日控訴人に対し、臨時雇用期間が終了したとの理由で解雇通知をしたことは、当事者間に争いないところである。

そこで、右解雇の効力を考えるについて、まず控訴人が本雇か臨時雇かの点から判断する。

成立に争いない甲第一号証、同第四号証、同第八号証、同第一三号証の一ないし四、同乙第一号証、同第七号証、同第八号証、控訴人本人の供述(原審)により成立を認め得る甲第七号証、同甲第九号証の一、二、当審証人青山昭元の証言により成立を認め得る甲第一八、一九号証の各一、二、証人青山昭元の証言(当審)により成立を認め得る甲第一八、一九号証の各一、二、原審ならびに当審における証人谷本義光、同浜中博(一部)原審証人小林吉彦、同柿本春吉、同矢原正儀、同森本重康、同安藤剛夫、当審証人村中一也、同松良秀、同可児登志夫、同青山昭元の各証言原審および当審における控訴本人の供述を総合すると、次のように判断される。

一、被控訴会社浜中船員課長は昭和三六年五月頃地元の東海海運局に船員の求人方申込をしたが、希望者がなかつたので、同月一九日電話で近畿海運局内船員職業安定所に甲板員または操舵手、期間三ケ月として求人申込をしたところ、同安定所から同月一四日頃に同所に求職申込をしていた控訴人を紹介して来たので同月二〇日被控訴人会社において右浜中課長が控訴人を面接した結果採用を決定し、雇用契約(入社契約)を締結した。

右契約書(乙第一号証)によれば契約の条件は職名甲板員、本給月額一一、〇〇〇円(乗船本給)、雇用期間乗船後三ケ月(変更も可)とあるが、右三ケ月が臨時雇の趣旨かどうかについて争いがある。

採用通知書(甲第一号証)には右契約書同様の記載のほか、「同封の予備員心得諒承のうえ」との記載があり、前記の「変更も可」との記載ならびに差遣状(甲第四号証)に記載の「本人即時乗船ですが長崎水産大学卒業者であります将来本員として採用出来る様御指導願います」なる文言、船員手帳(甲第八号証)に、雇入期間不定なる記載ある点を考慮しただけでも、被控訴代理人主張のように雇用期間を三ケ月間と限定した臨時雇用なりとたやすく考えることはできずかえつて控訴代理人主張のような試用期間が三ケ月であるとの見方もできるわけである。

右「変更も可」との記載が三ケ月よりも短縮することもある意味であり、差遣状の右記載が好意的、激励的なものに過ぎない旨の浜中博の証言は信用できないところである。

そして、前記採用当時一般に船会社が船員の不足を訴えていたこと、前記の面接当時控訴人が浜中課長に臨時では困ると申出たところ、同課長において職業安定所を通じて雇う者は普通三ケ月とするが成績次第で本員になれるのだと申向けたことが認められるのであつて、これに反する浜中証言は採用できない。

二、昭和三六年五月二〇日の前記雇用契約当時には、控訴人は同月二八日頃入港予定の名和丸乗船まで自宅待機を命ぜられたが、その頃名光丸乗組員であつた操舵手菅谷孝久が組合専従のため下船するため、被控訴会社がその後任として控訴人と同じ頃採用した小川博徳操舵手を予定していたのに、同人が病気のため乗船できなくなつたので、被控訴会社は同月二二日名和丸乗船のため待機させてあつた控訴人を急いで呼び寄せ菅谷操舵手の代人として名光丸に乗船さすべく職名操舵手、雇用期間乗船後三ケ月と記載した名光丸船長森本重康宛の差遣状を作成し、同月二三日川崎港において名光丸に控訴人を乗船させた。

そして、控訴人は、右呼び寄せられた際浜中課長から右事情で名光丸に乗船して貰うが、じきに名和丸に転船させるから努力してくれとの申出を受けていた。

控訴人は乗船の際関東海運局川崎出張所で職務操舵手、雇入期間不定、雇入日同年五月二三日、給料一一、四〇〇円として雇入契約の公認を受けていたが、乗船後、事務長に操舵手の保障本給が一四、〇〇〇円であるべき旨要請し、これを認められて、右乗船当初から右一四、〇〇〇円の本給で支払われるに至つた。(その変更の公認手続も受けている)

また、控訴人は前記川崎港で名光丸に乗船する際全日本海員組合に組合員として加入の手続をなし、その後加入費、ならびに組合費を徴せられ、組合員証(甲第七号証)も交付せられていた。

ところが、控訴人が乗船した名光丸が「カラフト」へ二航海「フイリツピン」へ四航海して昭和三六年七月一七日伏木港(富山県高岡市)へ入港する前に社命下船の電報があつた旨口頭で控訴人に通知があり、控訴人において森本船長に理由を尋したが判然とせぬまま入港し、船長は電話で被控訴会社に聞くといつていたが、不得要領のまま、名古屋へ行つて聞いた方がよいと答えたので控訴人は交替船員の到着を待つてから名古屋へ赴き被控訴会社の浜中課長に面会した。

そして浜中課長から実は海員組合から文書が来ている旨を洩らされ、全日海名古屋支部を尋ねて、その後に至り、事の真相を知つたわけである。(右認定に反する浜中証言は信用できない)

三、全日本海員組合と被控訴会社(二三社会=船主団体の構成員)との間に効力ある労働協約(乙第七号証)第三条第二号のユニオンシヨツプ制の適用を除外される「臨時」乗船とは会社の陸上社員(全日海の組合員ではない)が船舶事務員として乗船するような場合をいい、右以外には臨時船員、臨時雇なるものはその例少く臨時との名称を当初付けられていても特に成績不良の者とか、家事の都合、病気等のことがなければ、通常二、三ケ月の試用期間の経過後本船員として引続き雇用されることが認められる。

四、雇入契約(乗船契約)の期間を不定とする場合は多くは本船員あるいは本船員になるべき試用契約の者であつて、(多くは予備員制度のある船会社において)海運局係員としては具体的に航海先を記載するとかの方法により臨時乗船を認めるが三ケ月とかいう記載例はせず何航海もする場合には不定と記載するよう指導している(小林証言)例もあり、控訴人の船員手帖に雇入期間不定とあるのは、その点だけを取り上げても臨時雇用なる旨の被控訴代理人の主張にはそぐわないものであり、右船員手帖の「不定」との記載(公認済)と前記差遣状の三ケ月との記載との矛盾は船長あるいは事務長の間違いである旨の被控訴代理人の主張は、森本証人の乗船命令が普通会社から渡されるのであつて、差遣状が交付されるのは極めて少いし、本件差遣状は控訴人乗船の際には見ず後日見た旨の証言に照しても採用できないし、控訴人の要請により、その不利をさけるため特に「不定」と記載した旨の名光丸事務長の書面(乙第四号証)も、とうてい信用できるものとは認められない。ことに本件口頭弁論の全趣旨に徴するも、控訴人ら「若潮丸」事件の関係者が全日海から不利な取扱いを受けることを予期していた形跡も、また、被控訴会社浜中課長らにおいて、右事件と全日海との関係を昭和三六年五月当時知つていた形跡はない(甲第六号証によると組合では同年六月二一日の大会で控訴人らの組合加入拒否を決定した)のであるから、右雇入契約の期間の点その他本件各問題点についても、控訴人があらかじめ本件のような心配があるを考慮して工作したというようなことは考えられない。

五、被控訴会社の保有船舶が昭和三五年二月および三月に各一隻増加して外航船三隻となつて、その増加乗組員計九二名が一年経過することによつて、有給休暇の資格を取得するに至り昭和三六年五月以降その数が急に増加したので当時保有する三〇名程度の予備員をもつてしては、配乗が困難となつた旨の被控訴代理人の主張はこれを認められるが、それだからといつて、控訴人が期間三ケ月の名実ともの臨時雇用であつたとはいえない。そして昭和三六年七月一七日の控訴人が伏木港で下船の際には予備員たる本船員が余つていた旨の主張も前記主張と対比してたやすく採用できず、前記控訴人採用当時七月には急に船員の余裕ができるとの予測があつたとの証左もなく、かつ、控訴人下船の代りには小松船匠、同人の後には山田船匠を乗船させたというのであるから、前に認定した控訴人が名和丸に乗船予定であつた事実等と考え合せて、具体的に控訴人が臨時補充の意味で採用されたとの根拠は弱いものといわねばならない。

六、控訴人は当初甲板員として予定されていたが、名光丸に操舵手として乗船勤務することになつたので、乗船当初にさかのぼつて本給(乗船本給)月額一四、〇〇〇円を支給されたのであるが、これは前記船主団体と全日海間の労働協約(昭和三六年四月一日実施)による職別最低保障本給表の遠洋三千屯未満近海三千屯以上の船の部員役付の給与に相当し、本員と同額であるから、少くとも給与の点からいつて臨時である(被控訴代理人は臨時雇は本員より高額であると主張する。)という根拠はでてこないわけである。もつとも、被控訴代理人は控訴人は全日海の組合員でないから、右最低保障本給表の適用はないが、それにもかかわらず本員と同額にしたのは臨時雇であるからと弁明しているようであるが、控訴人が組合員かどうかの問題は控訴人乗船当時には現実に表われていないことは間違なく、被控訴会社も組合費等を給与から控除徴収していたことが認められるのであるから、右弁明はとうてい採用できるものではない。

七、控訴人が被控訴会社に採用面接の折船員手帳および履歴書を提出したのみで、身元保証書、誓約書、戸籍抄本、学業成績証明書等の提出をしていないことは認められるが、控訴人は船員手帳所持者であり採用の折他の書類を提出しなくても、それがため臨時、一時的の雇用であるとの証拠とはいえず、原審証人矢原正儀の証言によるも、かかる書類を提出しないまま本員となつた事例が存することが認められるので、右の事実は被控訴代理人主張のような重要なものとは考えられないのである。

八、被控訴代理人の船員保険法についての陳述は、本件雇用契約が臨時的なものなる旨の被控訴代理人の主張を支持するものではなく、右法律の関係を考慮して期間二ケ月位の雇用予定を三ケ月とすることは有り得ても、控訴人を三ケ月足らずして下船せしめたことの正当理由となるわけでもない。

九、以上の各論点についての判断からすれば、被控訴会社と控訴人との間における雇用契約は本員の一時的補充のための臨時雇用ではなく、乗船後三ケ月の試用期間を経過して採用者に従業員としての不適格を認むべき合理的事由がない限りは、本採用とする旨の契約であり、したがつて、単に形式的に雇用期間が経過したとの理由(前記乗船後三ケ月という点からすれば昭和三六年五月二三日から三ケ月を経過した同年八月二二日でなければならない)のみをもつて、何ら特段の事由を示さずに同年八月一九日被控訴会社が控訴人に対しなした解雇通知は無効であり、たとえ、試用期間中であつても、控訴人は前記合理的事由のない限りは本採用に移行することを確め、かつ、期待して締結したものであるから、被控訴会社の恣意によつて、解雇できる筋合のものではないと解すべきである。

一〇、そして被控訴会社と控訴人との間の雇入契約(乗船契約)は前記のように昭和三六年五月二三日締結されたが、その雇入の期間は定められなかつたものであつて、これに反する被控訴代理人の主張は採用できず、したがつて、その雇止については船員法第四二条の規定の適用があるわけで、被控訴代理人の主張では控訴人乗組の名光丸船長を通じ電報文(書面)で二四時間以上前に昭和三六年七月一七日限り雇止する旨の申入を控訴人にしているというのであるが右が書面をもつてなした旨の証拠はなく、電報文を交付された旨の証拠はないのみならず電報を書面とみることはできないし、原審証人森本重康は伏木港入港後直ちに書面を提示した旨証言するが、これに見合う確証もなく、被控訴代理人の主張と異る点からしても信用できず、控訴本人は理由も聞かされず、かねて採用当時聞いていた名和丸に転船のことであろうと思つていたのであるから、右雇止は公認の手続があつても、書面をもつてしないから船員法第四二条に違反し、無効のものというべきである。

一一、被控訴会社が右判断のように控訴人を一時的補充の意味で臨時雇用したのではないのにかかわらず、あわてて雇止にしたり、契約書に明白に乗船後三ケ月と記載してあるのを採用の五月二〇日から起算して三ケ月と計算して三日前に期間経過の理由で解雇通知をしたりしたのは、同会社とユニオンシヨツプ協定を結んでいる全日本海員組合が「山田海運若潮丸労働組合事件」に関し控訴人らを重要人物と指名してその組合加入拒否ならびに右協定を締結している船会社に就職できない旨通知したものによることは、本件証拠から明白に推認できるところであり、被控訴人側はこれをかくすため極力臨時雇用を主張し、浜中船員課長も極力右主張にそう証言をなすに努めている形跡がうかがわれる。

しかし、本件弁論の全趣旨によるも前記若潮丸事件において、控訴人が違法な争議、組合活動をなしたものとは考えられないし、たとえ、右全日海の通知がどうあろうとも被控訴会社がそれだけの理由で控訴人を解雇する理由を有するに至るものではない。しかし、本件の解雇理由は期間経過というのみであるから、不当労働行為の成否等については判断するの要はない。

一二、なお控訴人が名光丸に乗船後の勤務成績その他において特に同人を不適格とするような事由がなかつたことは原審証人矢原正儀の証言、同森本重康の証言(一部)成立を認められる甲第三号証によつて認められ、これに反する乙第二号証の一ないし三、右森本証言の一部ならびに浜中博の証言は信用できないところである。

一三、以上の判断を左右するに足りる信用すべき疎明資料はなく、そうだとすると被控訴会社と控訴人間の雇用契約ならびに雇入契約(乗船契約)はいぜんとして存続するわけで、前記無効な雇止、解雇通知以外に解約、解除の形跡はなく、控訴本人は独身ではあるが被控訴会社より解雇通知を受けて以後船会社に就職できず、「アルバイト」程度の仕事を得てようやく生活していることが認められるので、本案判決を得る前にも仮の地位保全ならびに賃金の支払を求める必要があるものというべく、昭和三六年八月一日(七月分は請求していない)以降八月一九日までの支給額と乗船本給との差額(三、〇〇〇円の三一分の一二として一、一六〇円)および同月二〇日以降前記乗船本給相当の月額一四、〇〇〇円(控訴人は組合員でなくなつたとしても、減額する約定はない)の割合による金員の支払を求める部分は正当としてこれを認容すべきものである。(支払期日はよるべきものがないから毎月末日とする)その他に乗船手当、時間外手当、航海日当食糧費等を加えれば控訴人主張のような額に達するが、本件が仮処分である点と雇入契約の終了はいまだないわけであつても、現実に乗船していないことも事実であるから、これらを考慮して右の金額を相当とし、その余は失当として却下する。

よつて、これと見解を異にする原判決を取り消し、民事訴訟法第九六条第八九条第九二条但書を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 坂本収二 渡辺門偉男 小沢博)

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